行列についてあれこれメモ/行列は何の役に立つか

象のパレード

享保の象、1400kmを歩く(1)

街中を象が歩くだけでパレードになりますね。なんせ見応えがありますから。
 今から約600年前の室町時代、福井県の小浜に日本最初の象が渡来したと言われていますが、それ以後、江戸時代の終わりまでに象は何度か渡来しています。その中で最も有名なのが将軍・吉宗公への献上の象で、「享保の象」とも呼ばれています。


 吉宗公は好奇心の強い人で、西洋の学問に対して貪欲なほど興味をしめし、西洋に日本以上のすぐれたものがあると知れば、さっそく採り入れて実践するほどでした。それで、吉宗公の「象が見たい」の一言で、日本に象がやってきた話は信憑性があります。紅葉山文庫(江戸城内に設けられた図書館)にあった『本草書』という本を引っ張り出しは、「ヲリハントという南の国にいる象という地上最大の動物」という記述に興味を示していたそうです。


 そこで呼ばれたのが、仲介人の呉子明という中国人。当時の貿易には、信牌という入港許可証が必要だったのですが、この人はベトナム(当時の暹羅・しゃむ)の信牌を持っていたようです。(『和漢寄文』)


 そしてついに、翌年の享保13年(1728年)6月13日に、吉宗公の「象が見たい」の一言でベトナムから象2頭が長崎に上陸したのです。牡象7歳と牝象5歳で背丈は約1.65mほどの子象でした。運んで来たのは中国人の鄭大威という商人でベトナム人の潭数(たんすう)と漂綿(ひょうめん)という2人の象使いも一緒でした。信牌1枚を渡したはずでしたが、船は信牌なしで入港。「将軍への献上の象」ということで着岸を許可されたという秘話もあります。


 上陸後、長崎の十善寺村の唐人屋敷で飼育され、江戸へ向けた象パレードの準備が始まりました。ところで、当時の長崎は珍獣上陸の地。珍獣を絵に描いたり、大通詞(通訳)が報告書としてまとめたりして、江戸幕府へ御用伺いをしていました。したがって「享保の象」の記録も残っています。例えば、鳴き声は牛に似ている。ネズミやアリが嫌い。(ベトナムでは)子どもを背中に乗せて出かけるが、子どもだけでも安心。人によく馴れて、人の言うことをきく。酒好き。12年の懐胎で寿命は6〜7百年、鳶口(調教用の道具)は血が出ることもあるが、次の日にはすぐ治る。馬より早く走れる。人を見極める。象の上で使う武器もある。象の餌や好物についてなどです。


 ところが、2頭の内の牝象は3ヶ月後の9月に死んでしまいました。お菓子の与え過ぎだったという説もあります。担当のお役人がノイローゼになったのは言うまでもありません。そういうわけで、象1頭になってしまいましたが、長崎から江戸まで1400kmに及ぶ象の長距離パレードが始まるのです。(続く)→

【参考資料】
●『長崎から江戸へ 象の旅』 石坂昌三/新潮社 1992
●『徳川吉宗』 百瀬明治 /角川選書 1995
●『江戸時代の日中秘話』 大庭脩 / 東方書店 1990
●『長崎ものしり手帳』永島正一/葦書房 
●『江戸ものしりなんでも百科』別冊歴史読本特別増刊1992年第17巻23号/新人物往来社

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